夕焼け空の向こうには


私は、神を見たことはないが、この世の不思議さを考えれば、この世のあり様を越えた何かがあると思っている。昔は、人生50年と言われた。その近辺で何かが変化すると思っている。私は、人生の分水嶺が50歳前後だと思っている。その年齢を越えてくると、確かに、人生の終わりが見えてくる。自分の子供を見ていると、彼らが、見ている世界は、彼らが生まれる以降の世界である。その前の世界をしらない。私も同じこと、自分が生まれる前の世界など分からないし、いつか訪れる自分の死の後も、知る術がない。私とは、まったく関係がなく、この世は存在している。もちろん、人類が生まれる前も、生命が誕生する前も、この宇宙が生まれる前も、そして、それが消滅した後も、その何かは残っている。夕焼け空を眺めると、その向こうに、時空を超えた何かがあると、感じている。それが、自分を育む人なのである。人は、あくまでも、あるものの象徴である。

自分の人生を眺めていると、子供の時に感じていたこと、20歳の時に感じていたこと、30歳で感じていたことと、今は、かなり、乖離していると感じる。余命を思えば、私の人生は、ここに収束するために、いままで、生きてきたのかと思う。この先に何があるのかわからない。しかし、私が作り出すものは、私の内部にあるものでしかない。知人で、今の私の年齢よりも、若くして死んだ人もいる。病院で知り合った友人は、27歳で他界した。もし、生きていたら、色々な経験を積んだと思う。いいことだけではない、つらいこと、かなしいことも、経験したはずである。もし、平行宇宙というものがあり、彼の魂もそこに遷移していたなら、私の死後、どこかで会えたなら、あれから、どうしていたのだ、と問いかけてみたい。

夕焼け空の向こうには、何かがある。その因果によって、私は生まれ、何かをつくり、何かを残して、この世を去ることになる。一瞬の風である。その中で、すべての事象は生成し消滅する。だから、悲しみ、楽しみ、時が過ぎ、花咲き、花散り、夢模様、なのである。そして、蝉しぐれがやむとき、どこかで、サヨナラが生まれる。人生はその繰り返し、人も、この宇宙も、きっと、同じ原理で貫かれている。

若い人は、恋に悩み、苦しみ、迷いながら、生きたらいい。生きられる命なら、最後まで、生き抜いた方がいい。人生に、正解などない。微笑み、安らぎ、揺らぐ風、どこかで、さよなら、蝉しぐれ なのである。そして、夕焼け空のその先に、ここまで生きれた幸を知る、という事になる。最後まで、生きたらいい。そう思う。

夕焼け空の向こうには

夕焼け空の向こうには
自分を育む人がいる。
生まれて、気づいて、恋をして、
子を持ち、育てて、老いていく。
夕焼け空のその果てと
夢見て、今日の風をしる。
悩んで、苦しみ、年をとり、
前向け、がんばれ、それでいい。
夕焼け空のその先を
信じて、明日の風を見る。
悲しみ、楽しみ、時が過ぎ、
花咲き、花散り、夢模様。
夕焼け空のその先と、
重なり、一つの風となる。
微笑み、安らぎ、揺らぐ風、
どこかで、さよなら、蝉しぐれ。
夕焼け空のその先に、
ここまで生きれた幸を知る。